私の夢



川べりの道は長かった。
当時、高校の陸上競技部で長距離に所属していた私がそう感じたのだから、
背中のリュックに重い水や食糧を背負っていた母にはさらに長く感じられたであろう。
「おさちゃん、ちょっと休んでから行かへん」
川べりには多くのテントが張られ、異様な熱気があたりをうめつくしていた。
正直、そんなところで休むことが怖かった。
「もうちょっとで有馬温泉に着くから、我慢していこう」
疲れきった母の顔を見ていると、炊き出しをしている父の行動が信じられなかった。


確かに父は優しすぎる人だった。
小さいころから何をしても怒られることはなかったし、
震災の影響で勤めていた銀行をリストラされた時も何一つ愚痴めいたことは言わなかった。
自衛隊や被災者であふれる高校になんとなくいく気がしなくなり、
家でただ本を読んでいる私に、同じように家にいることしかできない父は何も言えなかった。
そんな父を見ているのが嫌で、できるだけ遠くの大学を受験し家を出て行くときも、父は黙って見送るだけだった。


最近、就職が決まり家に電話した時に「咳の仕方が父と似てきた」と母に言われて、
あの日のことを思い出した。
長い川べりの道をこえて、炊き出しの火に映し出された父は優しかったのではなく、強かったと思う。
あの日、長い距離をこえてつながったものは、重たい食料や水だけではなかったはずだ。


時々、眠ることができなくて、暗い夜道を一人で走りだすことがある。
そんな時には必ず、あの日に失ったもののことを考える。
大好きだった尾崎豊のCD、彼女から貰ったサボテン、遠くへいってしまった友達。
何度数えなおしても決して減っていくことはなく、いつも私をしめつける。
最近になってやっと、あの日から得たものを考えられるようになった。


『私が父の背中を見て走り続けてきたように、誰かが私の背中を見て走りだすまで、走り続けたい』
これが私の夢である。


P.S. 詩人は21で死ぬし、革命家とロックンローラーは24で死ぬ 『村上 春樹』
僕は詩人じゃなかったし、革命家でもロックンローラーでもなかったみたいです。(まだ3ヶ月あるけど)
これからも、人生を楽しんでいきます。みなさんも幸せに!





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