ベンチャー企業育成における大学の役割・日米比較

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1                                                                  2

  1 ベンチャー企業の育成の意義                                          2

  2 ベンチャー企業育成における産学連携の意義                            4

  3 ベンチャー企業の定義                                                5

  4 本研究の論文構成および目的                                          5

2 起業家の学歴および教育・訓練                                          6

  1 米国における起業家の学歴および教育・訓練                            7

    1 米国における起業家の学歴                                          7

    2 米国における起業家の教育・訓練                                    8

    3 スタンフォード・ビジネススクールの場合                            9

  2 日本における起業家の学歴および教育・訓練                           10

    1 日本における起業家の学歴                                         10

    2 日本における起業家の教育・訓練                                   12

3 起業家支援                                                           14

  1 米国における起業家支援                                             15

    1 米国のSBDC                                                     15

2 MITのエンタープライズ・フォーラム                               16

  2 日本における起業家支援                                             16

    1 日本の中小企業支援センター                                       16

    2 早稲田大学の起業家支援                                           17

4 知的資産の創造と移転                                                 18

  1 米国における知的資産の創造と移転の場合                             19

    1 米国における産学連携の歴史                                       19

    2 米国におけるTLOの役割                                          19

    3 スタンフォード大学技術移転事務所                                 20

  2 日本における知的資産の創造と移転の場合                             22

    1 日本における産学連携の歴史                                       22

    2 日本の大学におけるTLOの役割                                    22

5                                                                 26

主要参考文献                                                                29

謝辞                                                                        30

 

 

 

 

1章 序 論

 

 

 

1節 ベンチャー企業の育成の意義

  現在、日本経済は戦後最大の不況下にある。それも一時的な景気循環による不況ではなくむしろ構造的な不況である。これまで日本経済を支えてきたいくつかの産業が成熟化し、産業そのものの交代期が来ているのである。まさに産業構造の大転換期にあるといえる。そんな中で次世代の成長産業や企業の登場が期待されているが、近年、日本は開業率が下がり、逆に廃業率が上がる傾向にある。1989年以降日本の企業数は減少しており、経済の活力を大きく減退させる要因の一つとして懸念されている。一方米国では開業率は13%強の高い水準を推移しており、絶えず廃業率を上回り、年間約80万社に及ぶ企業が誕生するという。

                     

                      図表1 開業率と廃業率の日米比較

日本における開業率・廃業率

                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(出所)日本:中小企業庁『中小企業白書』より

 

 

 

 

アメリカにおける開業率・廃業率

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(出所)米国:中小企業事業団『アメリカ中小企業白書』より

 

  米国経済の活況の背景にベンチャー・ビジネス(venture business)の貢献があることは紛れもない事実である。経営学大辞典(1988)によるとベンチャー・ビジネスとは、「進取の気風に満ちた起業家(entrepreneur)によって設立され運営されている一連の企業を指す言葉」である。ベンチャー・ビジネスとは和製英語であり、英語でこれに相当する言葉にはstartup business(設立後間もない企業)やemerging business(生まれつつあるビジネス)などがある。

  1970年代から80年代にかけて米国は、国際競争力を失い、貿易収支と財政の膨大な赤字に悩まされた。そこで政府はいち早く中小企業、ベンチャー企業の輩出・育成のために制度改革や各種の支援策を行なった。1971年にナスダック(NASDAQNational Association of Securities Dealers Automated Quotation)が創立され、資本市場が整備された。ナスダックにはすでに5,068社が登録され、市場全体の時価総額は約299兆円で日本の店頭市場の同時期に比べると25倍に達している。

 

図表2  日米店頭市場の比較

 

米ナスダック

日本の店頭市場

登録銘柄数

5,068

860

市場全体の時価総額

299兆円

119700億円

運営主体

全米証券業協会(NASD)

日本証券業協会

98年の新規公開社数

274

62

(注)登録銘柄数はナスダックは9812月末、日本の店頭市場は993月末。ナスダックの時価総額は98

    12月末の金額を当時の為替レート(1ドル=115円)で円換算した。

(出所)松田修一(1994) 『ベンチャー企業の経営と支援』日本経済新聞社

ナスダックの売買高は、すでにニューヨーク証券取引所を上回っており、歴史ある大企業中心の取引所をベンチャー企業中心の取引所が上回っている。

 

 

2節 ベンチャー企業育成における産学連携の意義

  1980年には米国で、連邦政府が資金を提供することで得られた研究成果を大学が特許として所有してもよいという主旨のバイドール法(Bayth-Dole Act)が制定され、大学からの技術移転が進めやすくなった。そのため米国では、起業インフラとして大学が大きな役割を担っている。特に、マサチューセッツ州ボストン周辺の「ルート128」とカリフォルニア州の北部に位置する「シリコンバレー」では、MIT(マサチューセッツ工科大学)とスタンフォード大学がそれぞれ中心となって、多数のハイテク企業が生み出されてきた。1990年代後半に台頭してきたハイテクベンチャーについても、大学から生まれた技術やアイデアで大成功を収めている例が少なくない。

 

図表3  米国の大学から派生した主なハイテク企業

社名

(出身大学)

会社設立

(A)

株式公開

(B)

設立→公開

(B)−(A)

売上高

(億円)

時価総額

(億円)

ヒューレット・パッカード

(スタンフォード大)

1947

1957

10

43,302

116,426

ディジタル・イクイップメント

(MIT)

19578

19668

90ヶ月

981月に11,600億ドル

コンパックが買収。

デルコンピュータ

(テキサス大オースチン校)

19845

19886

41ヶ月

25,821

133,701

シスコシステムズ

(スタンフォード大)

198412

19902

52ヶ月

12,421

374,561

シリコン・グラフィックス

(スタンフォード大)

198111

198612

5年1ヶ月

2,809

1,824

ブロードコム

(UCLA)

19918

19984

6年8ヶ月

530

14,774

ネットスケープ・コミュニケーションズ

(イリノイ大)

19944

19958

14ヶ月

9811月に5,100億ドルで

アメリカン・オンラインが買収。

ヤフー!

(スタンフォード大)

19953

19964

11ヶ月

602

116,407

ライコス

(カーネギー・メロン大)

19956

19964

10ヶ月

139

8,792

アカマイ・テクノロジーズ

(MIT)

19988

199910

1年2ヶ月

4

31,161

(出所)松田修一(1994) 『ベンチャー企業の経営と支援』日本経済新聞社

  そんな中で我が国においても新しい時代に対応した新産業創出、雇用創出における大学の役割が注目されている。政府の産業構造改革・雇用対策本部(本部長・小泉純一郎首相)による新市場・新産業の育成による創出のための中間報告(2001618日)では、国立大学などの施設使用の規制を見直すほか、研究を委託した企業が特許権を独占的に使用できるような法的枠組みに道を開き、民間からの資金流入を5年で10倍に増やすことで、「大学発のベンチャー」を今後3年間で1,000社設立して産業基盤の底上げを図り新たな雇用の受け皿づくりを促す、としている。

 

 

第3節 ベンチャー企業の定義

  松田(1994)の定義をベースに、ベンチャー企業を「成功意欲の強い起業家(アントルプレナー)を中心とした企業で、商品、サービス、あるいは経営システムに、イノベーションに基づく新規性があり、独立性をもった挑戦する企業」と定義する。

@「成功意欲」という意味の中には、成功の尺度や内容は、個人によって多様(売上高、

  技術水準など)であるべきという考え方が含まれている。

A「中心」という表現には、一人の起業家の完全ワンマンタイプだけでなく、起業家が複

  数結束して成功するパターンもあることを念頭においてある。

B「イノベーション」の内容については、経済学者シュンペーターが提唱した五つの要素、

  つまり、新しい財・サービスの生産、新しい生産方法の導入、新しい販路の開拓、材料・

  半製品の新しい調達源の獲得、そして、新しい産業組織の実現など非常に広い範囲が含

  まれる。

C「独立性」とは、他企業の下請けや系列でないという意味である。

 

 

第4節 本研究の論文構成および目的

  ベンチャー企業育成機関には、ベンチャーキャピタル、リサーチパーク、など様々あるが、本研究は、第1章において、ベンチャー企業育成における大学の役割に焦点をあて、第2章において起業家の学歴および教育・訓練、第3章において起業家支援、第4章において知識資産の創造と移転について考察し、それぞれ日米比較(特に米国の場合はスタンフォード大学・MITを例にして)を行ない、第5章において結論を述べる。「日本においても、米国のような産学連携による大学発のベンチャー企業を育成可能であるかどうかを調査すること」を目的とし、文献調査を中心に分析を進める。

 

 

 

第2章 起業家の学歴および教育・訓練

 

 

 

  起業家の学歴に関して、松田(1994)は、「日本をのぞけば、教育投資こそ、自主独立精神を育て、他人とは異なる独創性を高め、自己の能力をフルに発揮する人生を歩む糧になるはずである。ですから、高学歴になるほど、自己の能力を高めているので、起業家になる確率が高いという仮説がなりたつ」としている。

  起業家の教育・訓練は大学が本来果たす人的資源の教育という側面である。

  「起業家は育成可能か」という問題は、見解が分かれている。どのような起業家を念頭に置くかによって見解が分かれるからである。清成(1999)によれば、事業の革新性と起業家の数の相関を見ると、以下の図表のようになる。

 

          図表4  事業の革新性と企業家の数

テキスト ボックス: 事業の革新性テキスト ボックス: 事業の革新性
 

 

 

 

 

 

 


         (出所)清成忠夫(1999) 21世紀の私立大学像』

 

  両者は逆相関の関係にある。ブレークスルー型の革新的事業を展開する起業家の数は少ない。こうしたタイプの起業家においては、先天的な資質がものをいう。これに対して、あまり革新的でない事業を展開する起業家の数はきわめて多い。このタイプの起業家の資質はあまり問題にならない。そして、どのタイプの起業家に対しても、経営スキルは教育によって後天的に付与することができる。

  ..ドラッカーは、「イノベーションと企業家精神」の中で、「起業家精神」は、性格の問題ではなく、「行動様式」の問題であると述べ、起業家は直感的な能力よりも論理的かつ構想的な能力が求められる、としている。直感的な能力を教育により後天的に付与することは不可能に近いだろうが、論理的かつ構想的な能力を教育により後天的に付与することは可能であろう。この意味においても起業家教育は十分に意味を持つものであると考えられる。

 

 

第1節  米国における起業家の学歴および教育・訓練

第1項 米国における起業家の学歴

  日米の起業家の学歴比較は以下の図表のようになっている。

 

            図表5  起業家の学歴の日米比較

 

米国(全国)

米国(シリコンバレー)

日本

義務教育課程

1.1

1.1

11.7

高等学校

17.6

11.8

36.2

専門学校・短期大学

5.1

7.5

9.7

大学・学士

27.2

26.2

32.4

中退

16.5

19.8

7.2

大学院:修士・博士

26.1

26.6

1.2

資格なし

6.4

7.1

1.5

有効回答数

261

187

301

同世代進学率  大学

49.6

49.6

35.6

92年)   大学院

12.7

12.7

4.9

(出所)松田修一(1994) 『ベンチャー企業の経営と支援』日本経済新聞社

(原典)早稲田大学アントルプレヌール研究会『世界の起業家調査から見た日本のベンチャー支援の課題

        と方向性』

 

  米国の起業家の学歴についての特徴は、大学院(修士、博士)修了者の割合が、日本は1.2%であるのに対して、26.1%と高いことである。そもそも、米国は大学院進学率が日本4.9%に対して12.7%と高い。

  米国では、起業家教育の専門課程を設置している大学院の数は、1998年現在で日本5校に対して78校に達している。米国では、起業という目的を持って学べるMBA(経営学修士)が多く、夜間に学べるコースがあるなど多様性があり、大学卒業後、実務経験を経てから起業を志し、学ぶチャンスも多い。理工系の大学出身者が、実務経験を経てから大学院で経営を学ぶことも特殊なことではないのである。

  次に大学卒についての日米比較をしてみると、米国は日本よりも低くなっている。しかし米国では大学卒の割合が日本よりも少ない分、中退者が多く、大学卒と中退者を合算してみると、米国(全)43.7%に対して、日本39.6%である。これには米国の大学が一般的に入学よりも卒業が難しいという事情がある。

  また、日本の起業家の学歴が進学率にほぼ近いということは、日本の起業環境は学歴に関係ない、きわめて平等な社会であるともいえるが、米国では大学卒業以上でないと、起業家へのチャンスがきわめて少なくなっている。

第2項 米国における起業家の教育・訓練

  米国においても70年代までは、大学の教育の現場に企業を参加させることは、教育・研究という大学の本来の使命を歪曲する恐れがあるという、保守的な意見が大勢を占めていた。

  しかし、現在では、学部によっては授業内容の中に実際の企業との接点を考えるようになり、多くの大学がビジネス社会をより強く意識している。

  米国では起業家教育の主体はきわめて多様である。ビジネススクールはその代表であるが、小・中・高校生に対しても起業家教育が行なわれている。大学の学部レベルや教育を主体として地域の知的レベルの向上をめざすコミュニティー・カレッジにおいても起業家コースが設けられているものが多い。

  米国においてもかつてビジネススクールといえば、大企業の幹部候補生を育成する士官学校だといわれていた。だが、今日では、ビジネススクールの起業家養成コース(entrepreneurship course)が重要性を増している。その第1号は1967年発足のバブソン・カレッジである。MBAMaster of Business Administration, 経営学修士)教育はもともと経営者育成のために用意されている。この経営者とは、大企業の社長はもちろん、ベンチャー企業の社長も含んでいる。しかし、近年では経営大学院の教育も特色を出すためにいくつかの大学(バブソン・カレッジなど)では起業家教育に重点を置き始めている。大学そのものが起業家育成を教育ポリシーとしている。

  起業家養成コースをもつ学部および大学院の数は以下の図表のように推移している。

 

図表6   起業家養成コースを有する学部・大学院の数

 

 

 

 

 

(出所)清成忠男(1999) 21世紀の私立大学像』

 

  1967年には10校に満たなかったのが、70年代には急増し、78年には141に達している。さらにイリノイ大学のG・E・ヒルズ教授の調査[清成忠男(1999) 21世紀の私立大学像』]によると、その数は84年4月現在で258に及んでいる。そして、95年8月には、その数は370を超えている。これらのうち大学院のみの数は、71年に1680年に5595年では100を超えている。

  ビジネススクールの起業家養成コースは草の根のレベルで全国的に広がっているから、90年代における、大企業を中心とした経営者の経済から「企業家の経済」への移行、企業家資本主義の台頭に大きく寄与しているといえる。2000年におけるランキングを見ると、以下の図表の通りである。

 

      図表7  起業家教育プログラムの評価の高い大学院

1.バブソン大学

11.ニューヨーク大学

2.ハーバード・ビジネス・スクール

12.レンセレーヤー

3.ウォートン・スクール

13.セント・トーマス大学

4.南カリフォルニア大学

14.ベイラー大学

5.テキサス大学オースチン校

15.デポール大学

6U.C.L.A.

16.スタンフォード大学

7.ウィチタ州立大学

17.ケネソー州立大学

8.ジョージア大学

18.ボール州立大学

9.カーネギー・メロン大学

19.アリゾナ州立大学

10.ノースウエスタン大学

20M.I.T.

(出所)松田修一(1994) 『ベンチャー企業の経営と支援』日本経済新聞社

(原典)平成11年版「新規開業白書」(国民金融公庫総合研究所編)

 

  バブソン・カレッジが依然として第1位であるのが目を引く。

  起業家教育は、ビジネススクールで行われているのが一般的だが、工学教育でも起業家教育が取り入れられている。例えばスタンフォード大学では、工学部内に作られたBASESBusiness Association of Stanford Engineering Students)という組織が、スタンフォード大学の学生向けに、シリコンバレーのトップクラスのベンチャーキャピタルが講師として講義を行なったり、ビジネスコンテストの実施など、様々なメニューを実施している。また、レンセラー工科大学では副専攻に起業家プログラムをとって単位にすることができる。工学教育に起業家教育を取り入れることにより、技術に強いエンジニアの起業家を輩出することができる。

第3項 スタンフォード・ビジネススクールの場合

  スタンフォード・ビジネススクールでは、ビジネス育成そのものを教育の対象としており、全米最難関の倍率の中、国内外から優秀な人材を集め、集中的なビジネス教育と訓練を行なっている。ハーバードのMBAが、世界に広がるネットワークを誇るのに比べ、スタンフォード・ビジネススクールのMBAは、ベイエリアに集中するのが問題(1997年のMBAの卒業生の42%が北カリフォルニアで就職)と指摘する声もあるが、こうした人材が大学の周辺で活躍したことが、シリコンバレーの隆盛に大きく貢献したと言われている。

  スタンフォード・ビジネススクールでの授業内容は極めて実践的であり、工学部と合同で、市場調査や事業企画から製品開発まで行なうクラスもある。

  1997年のスタンフォード・ビジネススクールのMBAの進路調査では、約360名の卒業生に対し、722の企業から求人があり、21%が社員50名未満の会社を選んでいる。つまり、卒業生の5人に1人がスタートアップ企業を選んでいるということである。

  また、スタンフォード大学では、教授が企業と兼業することを週一日認めており、自由にコンサルタント活動ができる。直接経営に参加する場合には、その間給料は半額になるが、2年間の長期休暇(sabbatical leave)を取ることができる。教授には大学院生を雇用する権限が与えられている。教授にとって院生は大きな労働力であり、院生はリサーチアシスタントとして働きながら勉強している。

 

 

第2節 日本における起業家の学歴および教育・訓練

第1項 日本における起業家の学歴

  起業家の最終学歴の日米の差異については、起業家(アントルプレナ−)を受け入れる社会サイドの問題が深くかかわっている。日本の起業家の学歴比較によると、最も多いのは高校以下の卒業者であり、最も少ないのは大学院卒である。米国シリコンバレーでは、日本とは逆に大学院卒の起業家が最も多かった(前掲図表5)。日本では「偏差値教育」の中の優秀者は一流大学、一流企業のサラリーマンとなり、そこでの落ちこぼれ、あるいは二流大学卒業生が起業家になっていくことを示唆している。このことは、起業家のイメージにとって極めて問題である。また、彼らを受け入れる社会の側もこういった起業家を、一段劣ったものとして見ていく傾向があった。もちろん、こういった偏見をばねとして大きく成長していった企業があることも事実である。しかし、多くの場合は、起業家に対して銀行を初めとする既存のエスタブリッシュメントは必ずしも、好意的ではなかった。当然その中には大学も入っている。大学は積極的にその卒業生をベンチャー企業に就職させようとはしていない。逆に大企業への就職率を互いに競い合っているのが現状である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                         図表8起業家への尊敬度

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(出所)創業・ベンチャー国民フォーラム配布資料より

 

  また、日本の起業家は、日本の大学の「サラリーマン予備軍の供給機関」システムの仕組みの外から育ってきたといえる。ダイエーの中内功氏は神戸商業高専、京セラの稲盛氏は鹿児島大学工学部卒、ソフトバンクの孫氏はカリフォルニア大学バークリー校卒業、安売り航空券代理店のH.I.S.の澤田氏はドイツのボン大学出身など、東大、京大、一橋、慶応、早稲田といったこれまでのエリートを産み出してきた大学出身者が極めて少ない。その理由は、大学の仕組みにある。これまでのエリート大学は大企業向けのサラリーマンの養成学校であったからである。

  日本の小学校から始まる教育体系は、まさに多量のサラリーマン育成の仕組みとも連動してきたといえる。つまり「偏差値教育」というもので、ひたすら大学受験のために良い偏差値をとり、一流大学に入学し、そして一流企業に入社するというライフ・プランである。この教育体系のゴールは、奇妙なことに、一流大企業に入社するというところで終わってしまっている。本来は、それから先が大切なのに、教育は単なる手段となってしまっていた。その意味で、日本では、「就職」というよりも「就社」といった方が良い現象が起こっている。人間は、本来は、何らかの職業に就いて生計を得るものである。そのために時間をかけて何らかの専門能力を習得して職業にするのである。そして、その職業を活かせる場所を選択して、いずれかの組織に属するのである。従って、人間は原則的に、まず職業決定を行ない、ついでに属する組織決定をするという連続性が存在するはずである。ところが日本では、特に大企業ホワイトカラーの場合には、固有の専門能力を持たないため、いわゆるゼネラル能力(潜在的な汎用能力)でもって、まず属すべき組織決定を先行させる。そして、その組織の中でいくつかの職種、例えば経理、営業、生産管理などを経験することで、次第にある程度のスキルを習得して専門性を増していくのである。しかし、この日本のホワイトカラーの最も強力なスキルは、何らかの分野の固有のスキルというよりも、その会社固有の知識の習得にある。この知識はその組織の内部では極めて有効な知識である。どこに問題解決に必要な知識が存在し、実現のためにどこの部署の誰を押さえれば事が動くか、などを知っていることは極めて経営上有効であるからである。まさに日本の経営層に必要とされてきたのは、こういった組織を動かす知識であった。この知識は、まず第一にその組織固有であるということである。内部にはいらないと解らないし、体験しないと解らないものである。まさに「暗黙知」[野中(1990)]である。第二に、その習得には長い時間がかかることである。教科書もなく、体験とか対人関係からでしか学び得ないために、その知識の習得は極めて困難であり、また個人差も大きい。第三が、組織固有性がゆえに汎用性がない。つまり他の組織においてはほとんど機能し得ない知識なのである。こういった日本の人的資源マネジメントの特性が、日本の大学における起業家育成に多大な損害を与えてきたとも言える。

  そういったことで、日本においては大学教育での起業家育成は重要視されてこなかった。起業家とはむしろ天賦の才を持った人で、彼らを育成することはできないというのが一般的な考え方である。

第2項 日本における起業家の教育・訓練

  日本において開業を目指す人に向けてのコースや講座を設けている大学や大学院は米国に比べて極めて少ない。日本において、ビジネススクールが発足したのは、1978年に慶應義塾大学においてである。しかし、以後は続かず、90年代に至る。また、起業家養成コースとしてのビジネススクールは1992年の法政大学である。現在においても、起業家育成コースや講座を設けている大学は約30校に過ぎない。また、日本の大学院教育は研究者の輩出を主な使命としてきたためか、専門課程を設置している大学院は5校にすぎない。

  しかしながら、日本の起業家教育も徐々に進みつつある。以下の図表は、松田(1994)が、日本の大学における起業家育成教育を、第1ステージから第3ステージレベルまで分類したものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図表9  日本の大学・大学院におけるベンチャー教育

ステージ

大学名

対象

科目構成

第1ステージ(講座・講演レベル)等十三大学

沖縄大学

社会人

「沖大ベンチャービジネス講座」「沖縄のバイオと農業」「改正沖振法とベンチャービジネス」

大阪大学

学生全般、社会人

「ベンチャービジネス−その構造と育成−」

鹿児島大学

学部生、大学院生、社会人

「ベンチャービジネス講座」「起業家育成講座」

慶應時義塾大学

学部生、大学院生、社会人

SFCアントレプレナーシップ講座」、テレビ会議システムの活用

多摩大学

社会人

「多摩大学ベンチャー・アカデミー」「ベンチャー企業経営論」

長崎大学

社会人

「起業から企業へ−ビジネスダイナミズムの新風−」

立命館大学

社会人

「アントレプレナースクール」「資金マネジメント講座」

龍谷大学

社会人

「日本型ベンチャービジネスの育成−資金調達の問題点と経営の在り方」

第2ステージ(プランニング・マッチング・プログラムレベル)等二一大学

大阪商業大学

学部生、社会人

「地域社会と中小企業」

京都大学

大学院生、学部生

「新産業創成論」

慶應時義塾大学

大学院生

「アントレプレナー戦略」「中小企業経営」など多数

神戸大学

社会人、学部生

「新規事業開発コース」「ベンチャー起業論」「ベンチャー経営論」

東北大学

大学院生

「ベンチャービジネス論」「ベンチャー起業政策」

多摩大学

学部生

「ベンチャー企業経営論」

電機通信大学

学部生、大学院生

「ベンチャービジネス講座」

法政大学

大学院生

ベンチャーキャピタリスト養成分野、起業育成分野

山口大学

学部生、大学院生、社会人

「ベンチャービジネス論」「Vプロジェクト」

立命館大学

大学院生

「ベンチャービジネス研究」

早稲田大学

大学院生、社会人

起業・経営政策科目群を設け、ベンチャー専門講座を設置

第3ステージ(インキュベート・レベル)四大学

慶應義塾大学

学部生、大学院生、社会人

アントレプレナー戦略、ベンチャー企業経営論、企業家論

多摩大学

社会人、学部生

ベンチャー企業の育成、ベンチャー企業成功理論

山口大学

学部生、大学院生、社会人

ベンチャー企業概要、新規事業の概要、コーポレートVB論、企業成長のM&A

早稲田大学

学部生、大学院生、社会人

ベンチャー企業の創出持論、ベンチャー企業のマネジメント持論

(出所)松田修一(1994) 『ベンチャー企業の経営と支援』日本経済新聞社

 

  第1ステージの講義・講演レベルでは、13大学、第2ステージ(プランニング・マッチング・プログラム・レベル)では21大学、第3ステージ(インキュベート・レベル)では、まだ4大学という状態である。

 

 

 

 

 

第3章 起業家支援

 

 

 

  企業を設立するためには、ビジネスのアイデアを持っているだけでは成功しない。それを評価する人、あるいはアイデアやプランにお金を出せる人を見つけることが大きな鍵となる。大学では起業家や起業家予備軍のネットワークを形成するための役割を持っている。

  大学は教育を通じて起業家を育成するだけでなく、そのネットワークの中心あるいは彼ら同士の間に立って、触媒の役割を果たす。神戸大学教授の金井壽宏は「企業者ネットワーキングの世界」で米国のMITにおける企業家ネットワークの研究をしているが、大学がまさにそのネットワークの中心として機能している様子が記述されている。ボストン周辺の企業家たちが大学に集まって、お互いの成功、失敗、悩みを各自発表しあうことで相互に学習しあっている。このことは大学という場だからできることである。これがもしベンチャーキャピタルのような第三者機関だとすると、そこにはどうしても微妙な利害関係が入ってきてしまう。大学はこういったベンチャー・キャピタルとか他の金融機関とは異なり、純粋に中立のベンチャー支援機関である。

  それゆえに企業家たちのネットワークの中心として機能しうるのである。企業家とは一般に、孤独な存在である。その悩みや問題をなかなか相談できる適切な友人関係とか先生を持っていない。彼らは切実に学習の機会を求めているのである。それも机上の学習ではなく生身の体験とか経験を求めているのである。こういった学習方法は大学の授業という形では決して供給できない。そこで大学が企業家ネットワークの中心になって、ここで彼らが情報を交換しあって、何らかの問題解決の糸口をつかむのである。大学はこの意味で、広く社会人に対する開かれた教育機関としての役割を果たすことになるのである。

  ここでは知識を一方的に、教室スタイルで、かつての生徒−教師という関係性での授業スタイルをとらない。大学が提供するのは、大学に集まってきた人々をネットワーキングすることである。彼らはネットワークの中で、交流を通じてお互いに学び始めていく。起業家にとって最大の教師はベンチャー企業を成功させた人であり、また失敗談であり、またお互いに悩みを共有できる人である。こういった知の交流を求める人たちを組織化し、触発し、促進し、そして支援して行くことが大学の大きな役割である。

 

 

1節 米国における起業家支援

1項 米国のSBDC

  この項では主に[野村総合研究所(1998)21世紀におけるハイテクベンチャー企業支援策のあり方に関する調査報告書』]の資料に基づき分析を行なう。米国では1980年に創設された中小企業開発センター(Small Business Development CenterSBDC)がベンチャー企業の経営面の支援に関して大きな役割を果たしている。SBDCは大学に関係するベンチャー企業に対し、大学の持っている専門家ネットワークを活用して各種の支援活動を行なっている。専門人材とは、大学教員、博士課程学生、現役起業家、退官した特定分野の専門家、公認会計士、弁護士などのことである。

  現在、各州に少なくとも1ヵ所、全米の57ヵ所に地域の核となるSBDCが設置されている。中核となるSBDCはその地域全体を統括する役割を担っていて、その配下には全米で1,000近くのサブセンターが用意されている。その多くが大学に代表される教育機関に設けられている。

  たとえば、有力なビジネススクールとして知られているペンシルバニア大学のウォートン校にもSBDCが設けられている。このセンターの年間予算規模は150万ドル(予算の出所は、連邦政府60%、州政府20%、ウォートンスクール20%)であり、次のような2つの大きな支援プログラムを提供している。@1対1の経営コンサルティングとAビジネストレーニングである。

  1対1の経営コンサルティングのプログラムは、起業家に対して、ビジネスプラン作成、市場開拓、資金調達源の把握、キャッシュフロー管理の4つの領域に対して無償で支援している。コンサルティング・サービスは、主として本大学のビジネススクールでMBA(経営学修士)取得を目指す大学院生25名により提供される。大学院生は、既に5~10年のビジネス経験を有する者であり、コンサルタントとして活動することで実際のコンサルティング業務ノウハウを取得することができる。なお、コンサルタントは1年契約で、時間給5.5ドルまたは授業料免除を受け取ることができる。

  ビジネス・トレーニングには、小企業マネジメント認定プログラム(資金調達、マーケティング、販売、戦略的プランニング、マネジメントなどのトピックスから、年間に20テーマを選択して提供)、ビジネス・スタートアップ・セミナー(スタートアップ企業および起業家希望者を対象とした新規ビジネスの創業や運営ノウハウについてのセミナー)、スペシャル・フォーラムとコンファレンス(「フィラデルフィア100」と題するフォーラムは、毎年この地区で最も成長率の高い民間企業の特徴について公表される)の3つの領域がある。

  1997年には「11のコンサルティング」は、年間で18,000時間、400社のコンサルティング・サービスを提供しており、成長が有望視される企業15社は、ペンシルバニア個人投資家グループ(エンジェル・グループ)に紹介し、そのうち4社が実際に投資を受けた。

2 MITのエンタープライズ・フォーラム

  MITエンタープライズ・フォーラム(MIT Enterprise Forum)は、MITの同窓会組織の支援を受けながら、MITの卒業生とその仲間たちの一団によって、1978年に創設された。フォーラム会は、他の起業家を助けながら、起業家である自分たち自身も助けたいという目的を持った10名ばかりの人々によって開始された。

  会の規模は、約2,000名であり、月次のケース発表会には、通常150名から200名が出席している。

  MITエンタープライズ・フォーラムでは、会社設立や経営について教えたり、ビジネスプランを持って毎回何人かプレゼンテーションを行ない、それについて会場のみんなとディスカッションを行なう。パネリストには、特定のケースのために特別に招集された専門職(技術ベースの成功した起業家、財務専門家、マーケティング専門家、コンサルタント)の人々が含まれ、追加的な助言や代替案を提示する。その中から優れたものについて、会場には投資家が来ているので、何かものになりそうなものに対してはお金がついて発展していくものもある。現在、アメリカ国内で14拠点、海外4拠点がある。

 

 

2節 日本における起業家支援

1項 日本の中小企業支援センター

  日本においても、中小企業基本法の全面的な改正を受けて、中小・ベンチャー企業に対する経営支援体制の整備が進められている。支援体制は以下の図表の通りである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              図表10 中小企業支援センターによる経営支援

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(出所)松田修一(1994) 『ベンチャー企業の経営と支援』日本経済新聞社

 

  @企業経営者が抱えるさまざまな悩みを気軽に相談できる身近な支援拠点(地域中小企業支援センター)が全国で300ヵ所に、A地域における中小企業支援の中核拠点(都道府県等中小企業支援センター)が各都道府県に、B中小企業・ベンチャー企業や創業者を総合的にサポートするナショナル支援センター(中小企業・ベンチャー企業総合支援センター)が全国8ブロックにそれぞれ設置される。

  全体的には米国のSBDCに類似した施策であるが、大学の関与があまり見られないところが大きく異なっている。

2項 早稲田大学の起業家支援

  早稲田大学アントレプレヌール研究会WERU1993年に設立され、学者、研究者、ベンチャー企業支援者、経営者、学生等約300人のメンバーで構成されている。月例研究会は月1回、毎回2回のベンチャー企業関係の専門家や経営者のプレゼンテーションを基に、WERU会員のコーディネーターを中心としたディスカッションにより、研究を深める活動を行なっている。

  また、エンジェル支援としては、19986月に早稲田大学教員、ベンチャーキャピタル、企業、金融機関、ベンチャー企業経営者等の出資(資本金9.900万円)でウエルインベストメントが設立された。当社はその後、有限責任投資事業組合(31,000万円)で立ち上げ、20社以上のベンチャー企業への出資を行なっている。

 

 

4章 知的資産の創造と移転

 

 

 

  大学にはさまざまな知識がある。とりわけ工学系、理系、医学系の研究室には多様な知識が創造され、保有されている。これらの知識がベンチャー企業に移転されると、大学にとっても企業側にとっても双方にとってメリットがある。大学の研究成果を社会に還元することは、十分に意味があることであるし、社会に開かれることによって、大学の活性化も期待できる。また、研究資金の外部からの導入によって財政的な自立も可能である。

  しかし大学と企業では研究の目的やあり方が、次のように大きく異なっている。まず大学の研究は基礎研究が中心となり、20年以上もかけて一つの成果を出すような分野が好まれる。工学部であっても基礎研究に興味の中心がおかれる。実用目的をもたないサイエンスの分野における研究である。これに対して、企業の研究は長くても3年から5年の間に実用化しなければならない。企業は実用目的からスタートし、応用研究や開発を担当する。しかし、現実には、基礎研究と応用研究・開発を機械的に区別することはできなし、基礎研究と応用研究・開発の間でシナジー効果が期待できる。この点に産学連携の意味があるといえる。

  最近では、ITやバイオテクノロジーの分野で進歩のテンポが速く、大学の研究への依存度が強まっている。また、新しい社会的な問題の解決が要請されている。環境、福祉、防災など、課題は多様である。それだけに、産学連携への必要性が強まっている。

  また、産学連携の問題点は、大学と企業の利益が一致しない場合が生じる点である。大学における学問の自由と企業の利益追求が摩擦を起こす場合がある。大学の研究に企業が介入したり、企業の要請による守秘義務が学問の自由を妨げることが考えられる。大学の研究成果は論文・出版物などで公表することを目指すが、企業の場合には秘密保持に重点が置かれる。秘密主義が研究者相互の情報交換を阻害する可能性を否定できない。

  このため産学連携にあたっては、大学人と企業人の双方において、職業人としてのモラルが前提になる。

 

 

 

 

1節 米国における知的資産の創造と移転

1項 米国における産学連携の歴史

  米国における産学連携は、80年代に活発化している。1980年のバイ・ドール法によって、非営利機関(大学を含む)及び中小企業は連邦政府の資金によって開発された発明に係る権利を保有することができるようになった。この改正を契機にして、大学の研究成果の特許化に弾みがつくとともに、企業への技術移転が進んだ。その結果、研究開発における産学連携が活性化したのである。

  80年代における産学連携活発化の前提としては、すでに研究型大学が数十校は存在していたこと、大学の財政的自立の必要性が強まり企業から研究資金を導入せざるをえなかったこと、産業の国際競争力を強化するためハイテク産業が重視されるようになったこと、等などの事情がある。

  この場合、研究型大学とは、基礎研究を組織的・継続的に行ない、固有の研究領域を確立している大学をいう。こうした研究型大学は増加傾向をたどっており、現在では200校を超えているといわれる。それだけ、民間企業に移転するシーズが蓄積されている。

  こうした研究型大学は、キャンパスの周辺にリサーチパークを開発し、企業の研究所を立地させるとともに、企業からの受託研究や企業との共同研究を活発に行なっている。こうした大学を核とするリサーチパークの協会も設立されており、メンバーは100を超えている。また、リサーチパークの多くは、ビジネス・インキュベーターを設けている。大学から研究者がスピンオフし、ベンチャー企業を創設する例も多い。

  こうして80年代には、各地に大学を核とする新しい産業集積地域が形成された。ルート128、シリコンバレー、リサーチトライアングル・パーグといった一定の歴史をもつ集積の他に、新たなハイテク産業の集積がつぎつぎに形成されていった。

  そして、90年代には、IT革命の進展という状況下で、インターネット産業の産業地域が形成されていった。現在、こうした産業地域としては8ヵ所が突出している。シリコンバレー、マルティメディアガルチ(サンフランシスコ)、シリコンフォレスト(シアトル)、ディジタルコースト(ロサンゼルス)、シリコンプレイン(テキサス・オースティン)、シリコンドミニオン(ワシントンDC周辺)、シリコンアレー(ニューヨーク)、ルート128(ボストン)である。こうした産業地域では大学が集積の形成に重要な役割を果たしている。

2項 米国におけるTLOの役割

  アメリカの多くの大学はTLO(Technology Licensing Organization:技術移転機関)を設置しており、特許の申請、管理、企業への移転などの諸手続きを、全てこの事務所が処理している。

  一般に、TLOの主な業務は次のようなものである。

@研究者の発明を特許申請するか否か判断し、申請する。

A企業家とライセンス契約を締結しロイヤルティーを徴収する。

B発明家、学部、大学にロイヤルティー収入を配分する。

  ここで特筆すべき点は、こうした事務所では弁護士や弁理士が行なうような業務をアウトソースしており、組織運営は各分野とともにビジネスセンスを持つ、技術系のスタッフによって行なわれているということである。つまり、研究内容を良く理解でき、常に企業との接点を持ち、企業への技術移転のルートを確保しているスタッフが配置されているのである。こうしたスタッフがいるおかげで、教授や研究者は特許申請事務等にわずらわされずに研究に専念できるだけでなく、何が企業で評価され商品化へ応用されるかについての情報を得ることができる。また、特許料収入は大学・学部・発明者に分配されるため、新たな研究資金の確保が可能となり、研究者自身へのインセンティブも、より高まる仕組みとなっている。

  大学技術移転管理協会(AUTM)の年次調査では、大学等のTLO活動が与える経済的な波及効果について言及されている。1998年度に大学の技術シーズから派生した経済活動(製品開発の研究及び関連製品の売上)は355億ドルに達し、28万人の雇用につながっていると試算されている。また、大学技術をもとに年間364社のベンチャー企業が起こされている。

  知的資産の移転の好例はジム・クラーク教授による事業創造が有名である。クラーク教授はもともとスタンフォード大学の教授であったが、自分の学生の技術アイデアに共鳴し「シリコン・グラフィックス」という3次元コンピューターの企業を一緒になって創立した。その企業は急速に成長しクラーク教授も巨額のキャピタルゲインを獲得した。しかし、クラーク博士はこれに飽き足らず、今度はイリノイ大学の学生だったアンドリーセン氏の持つインターネットのプロバイダー事業に着目した。これが「ネットスケープ社」の始まりである。また学生がベンチャーを起こしていった典型的なケースがやはりインターネットにおける閲覧ブラウザーの「YAHOO」である。スタンフォード大学の大学院生であった中国系の学生のジェリー・チャン氏らが始めた事業である。米国の大学はその知的資産の販売に関して極めて積極的である。

3項 スタンフォード大学技術移転事務所(Office of Technology Licensing,OTL

  この項では主に[今井賢一監修、秋山喜久編(1998) 『ベンチャーズインフラ』 NTT出版]の資料に基づき分析を行なう。スタンフォード大学のOTL1969年に設立され、ニールズ・レイマー(Neils Reimers)が初代デイレクターとなった。設立目的は、大学が所有する技術・ノウハウを社会に公開し、社会の利益に役立てるよう教授陣や研究者にパテントの取得を奨励し、民間へのライセンシングを行なう手伝いをしようというものであった。

  OTLが設置されてから10年間でルールが確立された。例えば、成功したパテントから得られたロイヤリティー収入を教授が所属する学部、学科、発明した教授個人の3分の1ずつ配分する方式がそれである。

  また、このOTLの重要な特色は、法律よりも技術のわかる人間がスタッフとしてマーケティングを積極的に進めるということである。その後、1980年のバイ・ドール法の成立によって環境は一変し大きく進展した。それまでは、国の予算によるものであっても、大学がパテントを所有できることとなった。そのため、大学がパテントを広く民間企業に売り込むことが可能となり、マーケティング戦略を重視しつつ、民間に技術を移転させるインセンティブが生まれた。

  OTLには現在23名のスタッフがいる。現ディレクターはキャッシー・クー(Kathy Koo)であり、元工学部長のジェイムズ・ギボンス(James Gibbons)とともに、企業との連携という面で大きな業績を上げている。また、OTL19968月末の会計年度に、約240の異なった技術ライセンシングから得た収入は、4400万ドルとなっている。

 

図表11  スタンフォード大学技術移転事務所

OTLOffice of Technology Licensing

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(出所)今井賢一監修、秋山喜久編(1998) 『ベンチャーズインフラ』 NTT出版

2節 日本における知的資産の創造と移転

1項 日本における産学連携の歴史 

  かつては、米国を除くと、どの国でも産学連携は必ずしも積極的に展開されてこなかった。特に日本においては、戦前は理化学研究所を核とした医学、薬学、鋼鉄、機械等の分野に見られるように比較的活発な産官学連携が、戦後において急に弱まった。原因として高知工科大学大学院起業家コース教授の前田昇[『組織科学』Vol.34 No.1(2000)は大きく五つの要因が考えられるとしている。一つは戦後の追いつけ追い越せのキャッチアップビジネスモデルにおいて、産業界は海外からの技術導入に大きく依存し、大学や国の研究所に頼る意義は少なかった。二つ目の要因は、1960年代後半以降の大学紛争の時代に産学連携がその焦点の一つとなり、大学関係者の間で産学連携をタブー視する風潮が数十年の長期にわたって存在し続けたことである。三つ目は1980年代の貿易摩擦、技術摩擦を背景とした中で生まれてきた1990年代初めの米国による日本の基礎研究ただ乗り批判である。これによって大学や国立系の研究所は、産学連携による商品化を意識した応用研究、開発研究よりも、産業界から離れて閉じこもった基礎研究に重点が移動した。四つ目の要因は、米国デュポン中央研究所によるナイロン発明でデュポン社初の大ヒット商品を出したことにより、日本の大企業が1980年前半からこぞって中央研究所を設立し自ら基礎研究の分野までカバーしたことである。五番目の要因は、日本の大学や官公立の研究所を取り巻く制度や慣行、制約が産業界のビジネスが要求する自由度に合わず、自由度の高い欧米の民間研究所や大学の産学連携プログラムに流れたことである。

  以上のような要因で日本の産学連携は、その流れを作れなかったが、最近ではどの先進国においても研究所での産学連携が活性化している。ただ、連携の形態は多様である。大学から企業への技術移転、共同研究、企業からの受託研究、研究生の受託、奨学寄付金の受入れ、等など、きわめて多様である。もちろん、これらがワンセットになる場合もある。

2項 日本の大学におけるTLOの役割

  TLOは大学教授らの研究活動から生まれた技術を企業に仲介する役割を持つ。技術移転を通じて産業の活性化を目指そうと、国が1998年に「大学等技術移転促進法」を制定したのを機に、全国の大学で設立が相次いだ。特許料の配分は橋渡し機関によって異なる。事例を示すと以下の次の通りである。

 

 

 

 

 

 

図表12  特許収入の分配方法

 

 

 

 

 

 

 

 

(出所)中村忠一(2001) 『あなたの大学が潰れる』 エール出版社

 

 大学にとっては技術供与で得た収益を研究費に充てられる利点がある。国立大学は将来、独立行政法人に移行することが検討され、国から受け取る研究費だけに頼れなくなる可能性が高い。私立大学も少子化で学費収入が減少しかねず、大学の危機感は強い。

  大学の研究成果を実用化し、存在感を世間にアピールできれば優秀な学生も集めやすい。TLOは大学が研究開発や学生確保で本格的に競い合うことを示す象徴的な存在になっていくと見られている。

  TLOの当面の課題は運営経費である。特許はTLOが申請し、申請費用も負担するのが一般的である。費用は申請時に一件あたりに数十万円かかる。国に申請して承認TLOになれば、特許出願費用が半額になる優遇処置を受けられるが、経営が軌道に乗っているところはまだ少ない。

  電気通信大学のTLO、キャンパスクリエイト(東京・世田谷)はあえて国の承認を受けない道を選んだ。承認を受けると優遇処置を受けられる反面、業務は技術移転に関係した分野に限定される。安田耕平社長は「ライセンス収入を得られる技術がいつ生まれるか分からない」とみて、技術移転以外の業務も手掛け、収入源の多様化を狙っている。

  また大学の教授らがベンチャー企業を設立する動きが活発になっている。学内での研究成果を世に問うために、自ら起業して実用化に向けた開発を進めるのが狙いである。TLOもこうした教授らの起業を支援することが多く、両者が連携するケースも増えてきた。

  教授ベンチャーはこれまで私立大学が中心だったが、最近は国立大学でも増えている。2000年4月に国立大学の教員の兼業規制が緩和され、企業の役員を兼務することが可能になったためである。人事院によると役員を務める国立大学教授らは約30人にのぼる。

  1998年に施行された大学等技術移転促進法に基づき、国から補助金などの支援を受けている「承認TLO」は2001年7月時点で20機関ある。承認を受ける準備を進めていたり、国からの承認を受けない方針のTLOを含めると、全国で25機関以上になるとみられている。

                      図表13 技術移転機関設置推移

 

大学名

組織名称

1998年(平成10年)承認

1

東北大学など

(株)東北テクノアーチ

2

東京大学

(株)先端科学技術インキュベーションセンター

3

日本大学

国際産業技術ビジネス育成センター

4

京都大学・立命館大学など

関西ティー・エルー・オー(株)

1999年(平成11年)承認

5

筑波大学

(株)筑波リエゾン研究所

6

早稲田大学

学外連携推進室

7

東京工業大学

財団法人理工学復興会

8

慶應義塾大学

知的資産センター

9

山口大学

(有)山口ティー・エル・オー

10

北海道大学など

北海道ティー・エル・オー(株)

2000年(平成12年)承認

11

九州工業大学など

(株)北九州テクノセンター

12

神戸大学など

財団法人新産業創造研究機構

13

名古屋大学など

財団法人名古屋産業科学研究所

14

九州大学

(株)産業連携機構九州

15

東京電機大学など

東京電機大学産官学交流センター

16

山梨大学・山梨医科大学

(株)山梨ティー・エル・オー

17

東京都立大学・工学院大学・東洋大学など

タマティー・エル・オー(株)

2001年(平成13年)承認

18

明治大学

知的資産センター

19

横浜大学・横浜市立大学など

よこはまティー・エル・オー

20

徳島・香川・愛媛・高知・高知工科大学など

テクノネットワーク四国

(出所)中村忠一(2001) 『あなたの大学が潰れる』 エール出版社

(原典)朝日新聞社『大学ランキング2002

 

  承認TLOには、技術移転活動に関する人材を補充するために、1機関当たり、2名程度が「特許流通アドバイザー」として財団法人の日本テクノアートから派遣されている。

  国がTLOの設立を後押しする目的は、大学の研究成果と企業を結びつけ、経済を活性化することにある。総務省によると2000年度末で国内の研究者約64万人のうち、約17万人が大学に在籍している。研究成果が実用化されてベンチャー企業などが新産業の育成につながれば、新たな雇用の受け皿にもつながるとみられている。

  TLOができる前の産学連携は、企業が大学に奨学金などの形で資金を提供し、大学の研究成果を使う権利を得るというのが一般的だった。ただ、資金の流れが不透明なことが指摘され、過去には名古屋大学の元教授が製薬会社に研究成果を提供する見返りに現金を受け取り、有罪になるという事件も起きている。TLOがうまく機能すれば企業と大学の責任がはっきりし、こうした問題も解消されると見られている。

            図表14  技術移転機関と特許   TLOの活動状況(2000年末時点) 

 

特許出願中の件数

特許の取得件数

TLOが収入を得た件数

(株)先端科学技術インキュベーションセンター

169

1

6

関西ティー・エルー・オー(株)

113

0

11

慶應大学知的資産センター

108

0

8

財団法人理工学復興会

100

1

8

国際産業技術ビジネス育成センター

77

1

3

(株)東北テクノアーチ

73

3

2

早稲田大学学外連携推進室

69

2

1

(有)山口ティー・エルー・オー

25

0

0

北海道ティー・エルー・オー(株)

21

1

4

(株)筑波リエゾン研究所

16

0

1

財団法人名古屋産業科学研究所

16

0

1

(株)産業連携機構九州

15

0

0

財団法人新産業創造研究機構

13

0

1

東京電機大学産官学交流センター

10

0

0

(株)北九州テクノセンター

7

0

0

タマティー・エルー・オー(株)

1

0

0

(株)山梨ティー・エルー・オー

0

0

0

合計

833

9

46

(注)外国での特許出願を含む

(出所)中村忠一(2001) 『あなたの大学が潰れる』 エール出版社

(原典)「朝日新聞」2001513日付

 

  大学はこれまで学問の場として存在してきた。企業の営利活動とは一線を画すべきである、という関係者の声も依然として聞かれ、産学連携に関心が薄い研究者も少なくない。

  また、大学では論文の数や質が研究者の評価基準として定着している。技術移転で貢献しても学内では評価されにくいという面がある。TLOが真に機能するには大学自身の研究者評価の変革も求められている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5章 結 論

 

 

 

  日本の起業家育成に関して、大学は従来の大企業サラリーマン養成機関から抜け出す時がきた。起業家育成は「自立型個人」あるいは「創造型個人」の育成を意味している。組織のなかで埋没する個人でなく、自分の足でしっかりと立ち、自分の運命を自分で決する個人を育成することである。21世紀はますます「知識社会」となっていくことであろう。「知識」を創造できるのは人間だけであるのだから、人材の価値はますます高まっていき、ベンチャー企業育成のための、起業家育成は大学が取り組む価値のある、極めて重要な課題である。

  日本の起業家支援に関して、中小企業支援センターは米国のSBDCに類似した施策であるが、大学の関与において大きな違いがある。その最大の要因は、修士課程レベルのビジネススクールが米国に比べて、非常に少ないことであろう。日本においては、大学が実施機関となっている事例はまだない。しかしながら近年、日本においてもビジネススクールは増加しており、コンサルティング等に関する資金的な負担減に加えて学生に対する教育的な効果も期待されることから、大学の有効活用を検討する必要がある。

  日本の知的資産の創造と移転に関して、TLOでの「知的財産権の帰属」に日米間で最も大きな相違点がある。米国では知的財産権の権利者である「大学」が中心に位置されており、その「代理人」となるTLOが技術移転に関わるすべての活動を取り仕切っている。研究開始時の契約や合意によって、大学研究者(学生を含む)が発明した特許等は大学に帰属することが義務化されていることが多い。一方、日本では、知的財産権は結果的に研究者個人や関係企業に帰属することが多いため、TLOは、TLOへの知的財産の帰属を同意してくれる研究者から技術シーズを譲り受ける必要がある。技術シーズの収集という業務が加わる上に、研究者から譲り受けた権利だけに、TLOが自立的に意思決定を行なえない可能性が生じる。また、権利の所有者を大学に一元化することができれば、特許出願・維持やライセンス交渉などの関連業務の効率化にもつながる。将来的には、日本においても、知的財産権の大学への帰属を義務づける必要があると考えられる。

知的財産権に関して、米国政府は1980年のバイドール法によって、特許をとりづらくし、多くの人に技術を開放する「アンチ・パテント政策」から、特許による独占権の保護を重視する「プロパテント政策」への移行を明確に打ち出した。時代背景的に、70年代の米国は、第一次・二次オイルショック、ベトナムショック、日本企業の世界市場席巻などにより長引く不況、不況にともなう税収減からの教育予算の逼迫という要素から、業績不振に悩む産業界、資金不足に悩む大学・研究機関が、抜本的な不況対策の施策を期待したことがあげられる。

 このプロパテントへの政策転換によって、大学による特許所得数は、1984年に年間551件だったものが、97年には2436件となり、4倍以上に増加している。

 

図表15 アメリカの大学の特許所得数の推移

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(出所)東一眞(2001) 『「シリコンバレー」のつくり方』 中公新書ラクレ

 

 現在、日本社会は、長引く不況、特許政策の転換など、ちょうど7080年代の米国社会と同様な状況に置かれている。以下の図表に見られるように日米のプロパテント政策には10年以上の開きがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図表16 日米のプロパテント政策の比較

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

.(出所)金子直哉(2002) 「産学連携の成立に、本当に必要なこと」 WorksNo.49

リクルートワークス研究所

 

 プロパテント政策での遅れをいかに取り戻すことができるのかが、今後日本のベンチャー企業育成に大きく関わっている。

  ベンチャー企業育成における大学の役割を考えた時に、最も重要なポイントは様々な分野での「連携」にある。研究者である大学教授と開発者である企業人との連携、研究・開発者と企業経営者との連携、起業家と支援者との連携、また大学内での理系教育と文系教育との連携などがそれである。多くの分野での交流を通して、お互いの「できること」と「できないこと」を認識し協力すること、で様々な可能性を実施に繋げることができる。

  日本においても、様々な分野の連携を通じて、米国のような産学連携による大学発のベンチャー企業の育成は可能であると考えられる。

 残された課題として、本論文においては日本の大学の全般的なベンチャー企業育成を調査してきたが、さらに、個々の大学において、どのようなベンチャー企業育成がなされているのかといった具体的ケースをより深く検討する必要があったと考える。

 

参考文献

 1.青木昌彦 (2001) 『大学改革』東洋経済新報社

 2.荒井久(2000) 『ビットバレーの鼓動』 日経BP

 3.(ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス編集部編)(1983) 『新産業創業成功のメカニズム』

   日本経済新聞社

 4.福田昌義編(2000) 『ベンチャー創造のダイナミクス』 文眞堂

 5.浜田康行(1996) 『日本のベンチャーキャピタル』 日本経済新聞社     

 6.東一眞(2001) 『「シリコンバレー」のつくり方』 中公新書ラクレ        

 7.今井賢一(1995) 『シリコンバレー・モデル』NTT出版         

 8.今井賢一監修、秋山喜久編(1998) 『ベンチャーズインフラ』 NTT出版

 9.(野村総合研究所)(1998) 21世紀におけるハイテクベンチャー企業支援策の

   あり方に関する調査報告書』

10.金井壽宏(1994) 『企業家ネットワークの世界』白桃書房

11.金子直哉(2002) 「産学連携の成立に、本当に必要なこと」 WorksNo.49

リクルートワークス研究所

12.カール・H・ヴェスパー著、徳永豊他訳(1999) 『ニューベンチャー戦略』 同友館  

13.(神戸大学大学院経営学部研究室編)(1988)『経営学大辞典』 中央経済社

14.清成忠男(1999) 21世紀の私立大学像』

15.前田正史編(2001) 『「ベンチャー起業論」講義』 丸善株式会社

16.松田修一(1994) 『ベンチャー企業の経営と支援』日本経済新聞社

17.中村忠一(2001) 『あなたの大学が潰れる』 エール出版社

18.中村秀一郎、石井威望編(1983) 『ベンチャー・マネジメント』 日本経済出版社

19.野中郁次郎(1990) 『知識創造の経営』 日本経済新聞社

20.榊原清則(2000) 「産学連携:意義と限界」 『組織科学』 Vol.34 No.1 白桃書房

21.高木晴夫編(2001) 『アントルプレナ−創造』 生産性出版

22.丹下博文(1992)『検証 日米ビジネススクール』 同文館